難波宮(なにわのみや)の『桜』
☆最初は大阪城に向かう予定だったのですが、今回はふと目についた難波宮(なにわのみや)の『桜』を撮らせていただくことにしました。 平成25年3月27日(水)曇天。
カメラは、PENTAX K-5+18~135mmと55~300mmです。
桜の状態は2~3部咲き。 桜の花が低い位置にあるので、桜の撮り方を教えるのにちょうどいいようなところですね。(^o^)
ご近所の方で、桜撮りのテクニックを磨きたい方にはここは穴場かも知れません。
それでは、いつものようにゆっくりとリラックスして、お楽しみいただけると幸いです。
いかがでしたでしょうかぁ。
今回の撮影では、桜の花の繊細なところを表現し描く為に、結構、神経を使いましたね。(^_^;)
花を愛でることにより、心が柔らかくなる感じ。
そういう効果があると思いますね。(^o^)
お気に入りの1枚が見つかれば幸いです。
今回も、御覧いただきまして誠にありがとうございました。
心より感謝いたします。m(_ _)m
天満、大川端(南天満公園)のチラホラ咲きの『桜』
☆天満の大川端、南天満公園のチラホラ咲きの『桜』を少し撮りました。(^o^) 平成25年3月24日(日)カメラはPENTAX K-5+18~135mmです。
肩の力を抜いて脱力で、完全にリラックスして「天満の大川端」(南天満公園)の春の日差し、憩い感を御覧いただき、少しでもリフレッシュしていただければければ幸いです。
「天満の子守歌」↑ 幼い頃に聞いたような感じです。(^o^)
これ⇒【天満の子守歌】をクリックで、どんな歌か聞いていただけます。
何か心地よい感じですねぇ。 今日から、毎日、寝る前に幼子モードで聞いたら、めっちゃ熟睡できそうでんなぁ。(笑)
↑天満橋から中之島遠望。 手前の橋が、天神橋(てんじんばし)です。
この一角↑↓だけが、満開の頂点を極めていました。(^o^)
いかがでしたでしょうかぁ?
大阪天満大川端の春の日差し感、憩い感が伝わりましたでしょうか?
今回も、御覧頂きましてありがとうございました。
心より感謝いたします。m(_ _)m
☆京都 地主神社に参拝
☆平成25年3月13日、前回記事『☆京都御所の梅林』の続きで、地主神社へ参拝に行きました。(^o^)
というのも、
3月6日に大阪正心館でK部長の「豊かな富のお話」を伺い、大国主命様の【福袋】に、ぜひ、触れてみて富の「心の器」を少しでも大きくしていきたいと思ったのが動機です。
(FBで写真は先にUPしましたが、フォトログ記事にして残しておく必要がでてきましたので、記事にいたしました。)
「豊かな富のお話」に続き、「記念写真」を何十組も撮影する補助のボランティアをさせていただいて、K部長が『打ちでのこづち』を神事として何度も振られ、目の前で皆様の尊い植福(喜捨)のご精進と富の奇跡をまのあたりにさせていただく、貴重な の機会を賜わりましたので、
大国主命様の主宰神の『地主神社』をインターネット検索でみつけ、さらに、撮影取材して何らかの体感をしてみたいと考えました。(^o^)
清水寺の中にあるらしいのですが、どうやって行くのかな?
梅と仁王門が絵になりますよねぇ。(^o^)
清水の舞台から見える景色です。
300円の拝観料で清水寺に入って清水の舞台を抜けて出た左に、↓地主神社がありました。
最初に、陰陽師でもよく出てくる「人形」(ひとがた) 祓戸大神↓の「人形祓い」に目についたので。やはり、気になりますね。(笑)
この「人形」も、時間をかけて詳しく研究してみたいところです。
次ぎに目に付いたのが↓撫で大国さん
やはり、↑「福袋」 金運、商売繁盛とあり、↓福袋を撫でて富の「心の器」が少しでも大きくなるようにお祈りしました。
地主神社のリーフレット↑にも「御利益まいり」とあります。 このリーフレットや(特に)HPを見ると垣根が低いですね。 どうも【修学旅行生が対象】のようで、マーケティングがはっきりしているようですね。
さらに、大きい方の大国主命様の「福袋」↑も撫でさせていただく『ワクワクを体感』させていただきました。(^o^)
これで、心の「富の器」が少しでも大きくなるといいのですが。(笑)
御覧のみなさまにも『ワクワク』が届くといいですね。 お近くにお住まいの方は『ワクワクを体感』されるのもいいかも知れませんね。 御利益あるかも。
今回も御覧いただきましてありがとうございました。
心より感謝いたします。m(_ _)m
☆京都御所の梅林
☆京都御所の梅林。 3月13日(水)明るい曇天 レンタサイクルで晴明神社から地主神社に向かう途中でたまたま見つけたので撮影させていただきました。 気分が良いですね。(^o^)
【京都御所の南西側にある梅林】には約200本の梅の木があります。
主に昭和2 0年代に京都各地の神社から譲り受けた穂を接ぎ木で育てたものです。まだ、 寒さの残る早春の2月中旬から3月中旬に赤、白、ピンクの花を咲かせます。
と、御苑のHPに説明がありました。
それでは、ゆっくり梅香を、御所の気品ある春の香りをお楽しみいただければ幸いです。
大阪城の梅林はよく撮りますが、京都御所では初めての撮影です。
全然「場」の空気、磁場が違うので心集中しやすく愉しい撮影になりますね。
いかかでしたでしょうかぁ。
一幅の清涼となれば幸いです。
御覧いただきましてありがとうございました。
心より感謝いたします。m(_ _)m
☆『桜』 春の歌♪
☆春の日差しが少しづつ強くなり、気の張りを感じるようになるこの時期が特に好きです。
『桜』という森山直太朗さんの歌はとてもいい感じですねぇ。 万人受けするスケール感が心地良いです。
出会いと別れのある節目となる惜別のシーンをみごと表現されていますが、今回、それを手嶌葵さんバージョンで。
「桜」の写真は、自分が撮りためしてあったものを使い、フォトムービーに仕立てあげてみました。
心静かに、ゆっくりとした気持ちで、春を味わっていただけると幸いです。
桜 手嶌葵
ぼくらはきっと待ってる
君とまた会える日々を
桜並木のみちの上で
手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も
君は笑っているから
くじけそうになりかけても
頑張れる気がしたよ
かすみゆく景色の中に
あの日の歌が聞こえる
さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散りゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今
今なら言えるだろうか
偽りのない言葉
輝ける君の未来を
願うほんとの言葉
移りゆく街はまるで
僕らをせかすように
さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 今 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ
さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠(とわ)にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散るみちの
さくら舞い散るみちの上で
※関連過去記事もどうぞ♪ この時期の別れと出会いの素敵な歌♪
飛鳥川(明日香川)
☆でかける時間が遅くなったので、よく分かっている飛鳥川(明日香川)をフォトウォーキング(写真は甘樫丘から石舞台)してみました。平成25年1月23日(水)天気は曇。 カメラはPENTAX K-5+18~135mmの標準系ズーム1本です。
本当は春の明日香が好きなので、少々春が待ち遠しい感じもあります。 が、冬枯れのこの季節に撮影するテーマとしては、結構、難易度が高い方の「撮影」の部類に入りますでしょうかぁ。 そういう写真にトライすのもある意味また楽しいものですね。(^o^)
それでは、飛鳥川(明日香川)を、肩の力を抜いて、ゆっくり、じっくりと、リラックスいただいてお気軽に御覧下さいませ。m(_ _)m (万葉の専門家、増山佳延講師の「歌」の動画解説あり)
飛鳥川(明日香川)のいい表情を探しながら、ゆっくりと歩いています。
↑巻10-3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)
万葉集の川の中で、この飛鳥川(明日香川)が一番歌を多く詠まれた↓ようです。
巻2-194: 飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に生ふる玉藻は…….(長歌) (柿本人麻呂)
巻2-196: 飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に石橋渡し…….(長歌) (柿本人麻呂)
巻2-198: 明日香川明日だに見むと思へやも我が大君の御名忘れせぬ (柿本人麻呂)
巻3-325: 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに (山部赤人)
巻3-356: 今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ (上古麻呂)
巻4-626: 君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く (八代女王)
巻7-1126: 年月もいまだ経なくに明日香川瀬々ゆ渡しし石橋もなし (作者未詳)
巻7-1366: 明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ (作者未詳)
巻7-1379: 絶えず行く明日香の川の淀めらば故しもあるごと人の見まくに (作者未詳)
巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳)
巻8-1557: 明日香川行き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ (丹比真人国人)
巻10-1878: 今行きて聞くものにもが明日香川春雨降りてたぎつ瀬の音を (作者未詳)
巻10-2701: 明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも (作者未詳)
巻10-2702: 明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ (作者未詳)
3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)
巻19-4258: 明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ (作者未詳)
この赤字の二歌を、もう少し下↓で、増山佳延講師の動画による詳細解説があります。 お楽しみに。(^o^)
いい表情とは、何かアクセントとなるような特徴のある部分を探して、愛でるみたいな感じでしょうかぁ。
ナンテンは音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。
特に【聖徳太子ご誕生所】の橘寺のナンテンなので、やっぱり、縁起良く、御利益もありそうです。♪
どうかこのフォトログを御覧のあなた様に『難転』のパワーが宿りますよう!に。 聖徳太子様よろしくご指導お願いいたします。m(_ _)m
↑巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳)
↑万葉の専門家、増山佳延講師の【動画の解説】です。 雰囲気はとてもよく分かりますよねぇ。(^o^)
巻10-3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)
こんなに靡(なび)き合っているから、ふたりの仲(この恋)は上手く行くよ。
相聞の歌 巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳) しがらみがあるから、あなたが私に寄せている思いは成就しませんよ。
動画で解説があったように、日本は一般の庶民も歌を詠みそれを伝承して、万葉集が編纂されるくらいの、文化的に高い土壌にあるのだということを、再認識させていただきました。
いかがでしたでしょうか。
飛鳥川(明日香川)お散歩のリラックス感が伝わりましたでしょうか?
今回も御覧くださいまして、ありがとうございました。m(_ _)m
※過去の関連記事参照
ザ ・ 奇跡の動画
☆幸福の科学グループの動画で、 【ザ・奇跡】 っていう動画を最近知りました。(^o^)
その中で「悪霊との対決」「『父の自殺』を乗り越えて」という動画の中に、女性が【始原の神の主エルカンターレ信仰】によって、無明、迷妄を打ち破って、仏の子、神の子としての認識をとりもどしていく姿が、奇跡が克明に描かれています。
今、現在ここまでできる宗教はどこにもありません。
これがまぎれもない事実ですね。 今は高度な情報社会で、ある情報発信をインターネット上ですれば、今はそれが一瞬にして世界を駆けめぐり、全世界に知れ渡ることになります。
ですから、それが「嘘」であるならば、単純に淘汰されこの世から消え去ることになるでしょうが、逆にますます広がる一方ですね。
仏法真理を学ぶことによって得られる智恵は、仏の子、神の子としての認識をも飛躍的に向上させます。
幸福の科学や幸福実現党には、心清く認識の高い方が非常に多いのが事実ですね。
そうしたことが一目瞭然となる動画です。 是非ともご参考に。(^o^)
☆初詣 伊勢神宮ご参拝
☆平成25年1月2日(水) うさクロンと初詣で伊勢神宮に参拝してまいりました。
近鉄難波から伊勢市まで特急で行き、このフォトログでは伊勢市駅からのスタートです。 その1日の様子をザ・ザーッと、写真で軽くお楽しみいただけると幸いです。(^o^)
参道を歩いて外宮まで行きます。
日頃、見慣れない景色に触れるだけでも面白く気分が高揚します♪
↑↓子供の頃親戚のおじさんおばさんから、お年玉を貰ったら、3日で使い果たしてよく、おやじに怒られ
た記憶があるが、ここでも「たぬきや」さんというオモチャ屋さんで「懐かしいお面」が綺麗に並べてあるのが目について眺めていたら、男の子の兄弟がいそい
そよろこび勇んでと中に入って行った。 こういう光景は、昔も今もさほど変わらない感じがする。怒られないようにね♪(笑)
↑木造三階建?の趣のある和風旅館。
↑外宮前でうなぎ専門店を何気なく見たら、『おぉ~っ!』思わず声をあげてしまった!右隣りのお宅に
【幸福実現党のポスター】が貼ってあった。 思わず、ありがく感謝の気持ちを込めてシャッターを押した。 できれば新しいポスターに貼り替えてくだされ
ば、さらにありがたいです♪
外宮のこの御正殿には豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られていて、まずご参拝させていただきました。(御正殿は撮影禁止なのでここまで)
板垣に飾られている、お榊(さかき)は森のシンボルだそうで10日に1度とりかえるそうです。
今回特に別宮でお参りさせていただいたのは、風の神、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺
命(しなとべのみこと)をお祀りする風宮。
『元寇の時、二度にわたって神風を吹かせたのが、この風宮といわれています。』
ですから、中国共産党、習近
平等対策を練って下さっているに違いありません。 よろしくご指導くださいませm(_ _)m
↑↓外宮、神馬(しんめ)の『草音号』(くさおとごう)
が、しぐさが愛くるしくてとってもかわいかった♪ 普通の馬より霊格が高いのだろうと思う。(^o^)
そして、4Km先の内宮へ徒歩で移動。(^_^;)
おはらい町通り、おかげ横町もの凄い人。お腹が減ってペコペコ。
なんとか空いているお店をみつけて伊勢うどんたまご入りを注文。(^o^)
はじめて食べたが太い麺が湯がき過ぎるくらい湯がかれていてこれが、柔らかい食感とたまり醤油+だしで結構おいしかった。 四国のうどんを剛とするなら伊勢うどんは柔だと思うが、対照的な味わいが気に入った(^o^)
楽しそうなお店がいっぱいあるが、時間がないので先を急ぐ。 内宮の天照大御神さまにご参拝させていただくことが目的だからです。
ご正殿撮影禁止のためここまで、ちゃんとご参拝してまいりました。
以上、御覧いただきましてありがとうございました。
天照大御神さま、貴重な機会を賜り、誠にありがとうございました。m(_ _)m
※おまけ 帰りの電車の車窓から宮川をパチリと。
☆2013年 明けましておめでとうございます♪
☆みなさま、明けましておめでとうございます。 本年2013年もどうぞよろしくお願いいたします。
去年は12月15日に、JR大阪駅前とJR京都駅前で大川隆法名誉総裁の街頭演説を撮影させていただく貴重な機会を得たのですが、本部長のご許可待ちをしておりました。 が、数日前にご許可をいただきましたので記事とさせていただきました。(^o^)
これが世を照らす、本当の主エルカンターレの獅子吼です! 主よ 心より感謝いたします。m(_ _)m
近未来において示唆に富んだ、大変貴重な日本国民の指針となる街頭演説です!
主の右肩上がりの構図でVサインです。 ヘルメスの自由からの繁栄を期待します。(^o^)
『私は人類至上最大の預言者ですからね!私の言葉を信じなきゃ、誰の言葉を信じるんですかぁ!』JR大阪駅前 大川隆法名誉総裁 街頭演説. H24.12.15より
京都では、本降りの雨の中にかかわらず沢山の方々にお集まりいただきました。 ありがとうございました。m(_ _)m
『神々の言葉、神仏の言葉を、今地上で伝えられるのは、私しかいないからですよ。 大川隆法が幸福実現党を創立したということは、【この党を日本の柱とせよ!世界の中心とせよ!】ということですよ。』 JR京都駅前 大川隆法名誉総裁 街頭演説. H24.12.15より
※おまけ 大阪(大阪以外も)がとても元気になる! 大川隆法総裁 inなんば2/2 2009.8.19でヘルメス的繁栄を再び再び昇らせます!の貴重なご説法です。
私はこの特に大阪の人たち、企業家精神に溢れる大阪の人たち大金持ちにしてみせます。~~大阪の地からヘルメス的繁栄を再び昇らせます!
幸福実現党は、もうすでに、次期参院選に向けて始動しはじめました!
とむすけも頑張ります。
みなさま、あらためて本年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m
☆『草笛の音』という話と【陰陽師的瞑想曲】
☆『瞑想』で本当に使えるもの、今回は特に【陰陽師的瞑想曲】で、静寂な心に誘われるものをご紹介したいと思います。 が、 その前に、なぜその【陰陽師的瞑想曲】をご紹介させていただこうと思った『動機』を少しばかり、お聞きいただければありがたいと思います。
それが、『草笛の音』という話です。 お時間の許す方は、少し長文ですがしばしお付き合いくださいませ。m(_ _)m
昔、あるところに大男がいた。
この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男であった。
街の中を歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては恐れおののき、そして家のなかに入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。
その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。
この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまち壊されてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ締め殺されるかと思って、悲鳴をあげては、逃げまどった。
そこで、村の長老が協議をした。
「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」 そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。
そこで、「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から外に追い出すことに成功すれば、どうにかなるのではないか」そのように提案する長老がいた。
他の者は、「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から出せば、確かに我らは安全であるが、ところで、その大男がまた帰ってきた時にはどうするのだ」
「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬが、それがまた心配の種になる」
「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」そのように言う者もあった。
「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようにするためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」
そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。
もし、弓矢で射たしても、あの鋼(はがめ)のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。
また、何か罠(わな)をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られた時に、また大変なことになる。
いろいろ議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。
「困ったものだ」「困ったものだ」
その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、
「私の意見がみなさまに聞いていただけるかどうかわかりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」
そのように、若い女性は話を切り出した。
長老たちは意外な思いがした。 その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えてもわからなかった。
「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにしてみせます」
「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようが、皆の者」
そして、長老たちは議論をして合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。
その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほど取り柄もない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。
それは、草笛を吹くという技術であった。
この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。
翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。
街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家の中にこもっていた。
今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我(けが)をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。
広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、
「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」
そう噂していた。 そこへ、鬼がと思うようなその大男がやってきた。 そして、まわりの者の予想通りその母親と子供につかみとろうとした。 みんなが固唾(かたず)を飲んで、
「ああーっ、これは大変なことになる」
と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にそっと頷(うなず)いた。
すると、その子供は、ふところから草の葉を撮り出して、草笛を吹きはじめた。その「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。
「何だろう、この音色は。この音色は何だろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」
その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうのたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分ある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この凶暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。
たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。
それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことがない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。 そして、自分が今までやってきたことを、ふと、ふり返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。
「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」
村人たちは驚いた。そして、
「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。 そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。
「そうか、この大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解する心があったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。
大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。こうして両者が平和に暮らしたと言う話だ。
さて、以上のたとえ話で私が何を話したかったか、
あなたがたにわかるだろうか。
この大男と村人というのは、決して別々の人のことではない。
実は、あなたがたの心のなかに住んでいる住人であるのだ。
あなたがたの心のなかには、
実はどうすることもできない粗暴な大男がおり、
またその大男に対して、怯え、恐れおののく
小心な自分というものがある。
誰の心のなかにも、こうしたものはあるのだ。
自分の心を統御しようとしても、
どうしても欲望にひかれてゆく心があるはずだ。
その欲望にひかれている心は、
たとえば異性を見ては、心が狂い、
金銭を見ては、心が狂い、
また他人の持ち物を見ては、心が狂い、
あるいは他の人が幸福になると聞いては、心穏やかではない。
そうした荒れ狂う台風のように統御できないものが
自分の中にあるはずだ。
その統御できないものこそ、
実はこのたとえ話に出てくる大男であるのだ。
しかし、この統御できない大男も、
かつて鎖(くさり)につながれていた時に、
どこかの誰かに統御されてきた、
支配されてきた、
飼い慣らされてきたという、懐かしい気持ちが残っている。
その懐かしい気持ちを想い起こさせたならば、
その大男をおとなしくすることはできるのだ。
それは、もっともっと力の弱い、小さな村人だと思われる者であっても、
その大男を統御することができる。
その通り---。
まず恐れというものをなくさねばならない。
自分の心は自分の手に負えぬものだと思ってはならない。
自分が自分ではないような、
まったく魔に踊らされ、魔に自由にされるような、
そんな自分であると思っていけない。
自分は必ず、自分の心を統御できると思わなくてはならない。
そして、統御する方法はというと、
実は決して腕力によって統御するのではない。
これが何を言っているのかわかるだろうか。
それは、決して難行・苦行によって、
自分の心を統御することができるわけではない、
ということを言っているのだ。
滝行をしたり、あるいは断食行をしたり、
いろいろ難行・苦行があるが、難行・苦行によって、
その心をなだめよう、心を統御しようとする試みは、
弓矢を射かけたり、あるいは罠をしかけたりして、
大男をなんとか取り押さえようとするのと同じで、
かえって大男を凶暴にさせてしまうことになるだろう。
心はいっそう自由にならなくなる。
そうではない。
もっと平和的で、
もっと小さな気づきを用いて、
もっと楽しい方法によって、
心というもは統御できるのだ。
つまり、私は、
決して非凡な世界の中に悟りがというものがあるのではない、
決して非凡な経験の中に悟りがというものがあるのではない、
ということが言いたいのだ。
日々の平凡な生活のなかに、実は悟りへのよすががある。
実は、悟りへの道があるのだ。
そして、平凡な日々のなかの、
平凡な一日一日のなかの悟りとは、
実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。
ほんの小さな発見とは何であるか。
それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、
知っていたところの音色だ。
その音色を想い起こすということなのだ。
私たちが悟りに到るためには、
実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。
それが大事なのだ。
実在界で味わっていた音色とは何であるか。
それは、人に対する優しい気持ちでもあったであろう。
人に対する祝福の気持ちでもあっただろう。
また欲望を強くせず、足ることを知る心でもあっただろう。
あるいは、ともに相和し、ともに協力しあい、
ともに生かし合う姿であっただろう。
限りなく透明感にあふれ、限りなく優しい、限りなく暖かい、
そうした気持ちがあったのであろう。
しかり、そのような世界こそが天国である。
このように地上に降りて生きていても、
この天国のことを思い出して、日々、生きることだ。
天国の生活を、日々、想いにおいて描いて生きることだ。
さすれば、その時に小さな小さな草笛を吹いていることになる。
やすらぎの世界のことを常に想い描いて日々を生きることだ。
その時に、大男は静まり、やがてあなたがたの敵ではなくなるだろう。
あなたがたを味方し、あなたがたの思いのままに動いてくれる、
大切な大切な力となるであろう。
私は今、たいへん平凡なことを言った。
平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。
さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、
魂が光っているとういう感覚と、
忍耐ということはどういう関係にあるのか、わかるだろうか。
すなわち、忍耐と成功とは、
平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。
非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、
忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかも知れない。
しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、
限りなく忍耐を要求されることであるのだ。
平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。
平凡な毎日を送りながら、
その中で、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、
そしてそれを理想と生きていくということは、
絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。
しかし、こうした弛(たゆ)みない努力こそが、
人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。
修行の過程において、一躍悟ることは難しい。
一躍大いなる進歩をすることは難しい。
一冊の本を読み上げることができなくとも、
たとえ一行なりとも読み、
今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、
実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。
成功には、忍耐が必要で、
忍耐を用いて成し遂げた成功は、
決して他の人々の嫉妬をかうことはないであろう。
それはその人が費やしたそれだけの努力が、
他の人々の尊敬を受けるからである。
このように忍耐を得られた成功には、必ず徳というものが光っている。
この徳は、
他人の嫉妬心や僻(ひが)みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。
すべからく成功者は、このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。
さすれば、必ずその努力は、
報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。
余得というものが生まれてくるにちがいない。
私はそう思う。
と、お釈迦様のたとえ話(仏陀再誕P221~242)ですが、その中で
平凡な一日一日のなかの悟りとは、
実は、ほんの小さな発見にあるということを私は言いたいのだ。
ほんの小さな発見とは何であるか。
それは、かつて、私たちが実在界・天上界にいた時に、
知っていたところの音色だ。
その音色を想い起こすということなのだ。
私たちが悟りに到るためには、
実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。
それが大事なのだ。
とありました。
とむすけさんやはり 『反省→瞑想→祈り』 が大事ですよ。と、
みなさんが教えてくださることもあり、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことなのだ。とは、それを実際に継続していこうと思うならば、どうしても 『反省→瞑想→祈り』 を凡夫なりにも深めていく必要があると、強く感じさせていただいています。
とはいっても、一躍という感じにはとうてい無理無理(>_<)なので、
たとえば 『反省→瞑想→祈り』 の中の【瞑想】の時にその導入で、実在界で味わっていたところの、その音色を思い出すことのできる心地よい調べというか、高次元波動(バイブレーション)の瞑想曲(何らかの笛)がほしいと思い、いろいろ探し試してみて考えるのですが、
その中でも【陰陽師的瞑想曲】となると、心静かに集中しやすく心地良い感じ♪が強くする、映画陰陽師の独奏の素敵な曲がよいだろうと選ばせていただいた次第です。
すみません随分と前振りが長かったですが、結局はお気軽にお楽しみくだされば幸いです。(^o^)
また、この動画UPしてくださった方(作者に)に心より感謝いたします。m(_ _)m