☆「仏陀再誕」の政治の部分を読み返す♪

12月 - 14 2012 | By

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☆振り返ってみると、よもや政党応援(幸福実現党)するなど全く思ってもみませんでした(苦笑)が、とむすけの場合、やはり、安倍晴明公や賀茂光栄さま、賀茂一族様方の陰陽師パワーが背後に働いてのことかも知れませんね。 不思議ですけど。

 そこで初心に帰るとよく言いますが、理想の政治とは何なのか、仏神の御心に叶う政(まつりごと)とはどういうものなのか、

 そもそも沈黙の仏陀が今の日本の政治を御覧になられて、どのような思いでいらっしゃるのか、せっかくの貴重な機会をいただいていますので、お釈迦様の本心を学ばせていただきたいと考えました。

  それには『仏陀再誕』の第4章 政治と経済 の中の政治の部分(P150~168)適切であると考え、その抜粋を再び読み返して素直に、謙虚に学んでみようと思います。

 語りかけの言葉で読みやすいと思いますので、よろしければ、ごいっしょに静かな心の目を通して、魂で味わってくだされば幸いです。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。(P150)

私の言葉をよく聞きなさい。

私はかってあなたがたに、

心について、心の教えについて、

さまざまに語ってきたはずである。

そして、心の教えとは、

時代を超え、人種を超えて、

いつも妥当する教えであると説いてきたはずである。

しかし、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。

あなたがたが生まれているこの時代に、この地域には、

あなたが過去、修行によって学ばなかったものがある。(P151)

あなたがたは今の時代において、

政治をどうとらえたらよいかが、わからないであろう。

あなたがたは今の時代において、

経済をどうとらえたらよいかが、わからないであろう。

その通り。

私は、過去あなたがたに政治の道は説かなかった。

私は、過去あなたがたに経済の道は説かなかった。

私は、過去あなたがたに、政治や経済を離れ、
ただ心の安らかさを求めよ、と説いた。

しかり、しかり。

今の時代においても、
心の平安こそが、

心の調律こそが、
そして、悟りの道こそが、至高の徳であることは変わりがない。
(P152)

しかし、

諸々の比丘、比丘尼たちよ。

この時代に、この政治のなかに、この経済のなかに、

生きているあなたがたは、
いかに惑い、いかに戸惑うことであろうか。

そうしたあなたがたをの姿を見ていると、私は涙を禁じえないのである。

比丘、比丘尼たちよ。

しかし、惑ってはならない。

この世に現れたるものは、すべて真実の仏の心が、

何らかのかたちで展開しているのである。

したがって、(P153)

あなたがたは、いたずらに政治から逃れようとするな。

あなたがたは、いたずらに経済から逃れようとするな。

あなたがたの今世の修行は、

この政治のなかにあって、この経済の中にあって、

心清く、心正しく、心穏やかに生きるとは、そして、

仏の心にかなって生きるとは、
いかなることであるかを示すことではないか。

そう、時代は変わった。

されど、永遠の法は変わらない。

この永遠の法を人びとに伝えるためには、

あなたがたは、この世の中のものすべて否定してはならない。

この世の中に潜むあらゆる善を発掘し、(P154)

この世の中に現れる、あらゆる悪を消し去ろうと努力せよ。

そして、そのなかに真の修行者の道を得なければならない。

諸人よ、よく聞きなさい。

私が法を説いているこの日本という国は、

世界をリードする時代に入ってきた。

しかし、世界をリードする国が、
その拠とすべき精神的支柱を持っていない。 

これは、憂えるべきことだ。

一家において、主人が、家長が、

心正しくよく働き、皆の者をよくまとめていってこそ、

家庭は繁栄する。(P155)

同じように、国の政治を司る者が、

心清く、心正しく、欲望から離れ、執着から離れて、

そうして民の幸福をのみ考え、

多くの者どもを幸せにすることのみを考えて、政を行うとき、

国は自ずから治まり、そして平らかとなる。

されど、今、この日本には、帰依すべき法がない。

国家が帰依すべき法がない、教えがない。

嘆くべきことである。

私はそう思う。

国家というものを、永遠不滅のように考えているのか。

それは、時代により、地域により、人びとにより、変わってきたものだ。

その名前が変わろうとも、その地域が変わろうとも、(P156)

しかし、その背後にあって永遠不滅の法があった。

永遠なる法があったのだ。

永遠なる法は、仏の心を忠実に地上に顕わさんとして出てきたのだ。

諸人よ、これより後、
あなたがたは修行するのみではならない。

あなたがたは、単に自己修行のみに生きてはならない。

あなたがたが修行する姿そのものが、
多くの者たちを目覚めさせるものではなくてはならない。

あなたがたの修行が、
修行するあなたの群れが、
(P157)

世の中を変えてゆくものでなければならない。

私はそう思う。

欲望に成り立っているこの社会を変えてゆくものは、

欲望によっては成り立たないものであろう。

欲望によって混乱している社会を変えてゆくものは、
執着を離れた人々の行動であろう。

私は、そう思う。

真の執着とは、それは仏への道を志すこと。

この大いなる真の執着は、何人も持ってよいのものである。

されども、偽りの執着とは、(P158)

この地上にのみに、自らの身を置き、

この地上においてのみ、自らを生きやすくせんとする心である。

このような偽りの執着を捨て去り、

大いなる執着を、

真なる執着を、

仏へと向かう執着を持つことは大事だ。

執着という言葉は悪いかもしれないが、

執着とは愛着と言い換えてもよい。

いや、強い牽引力と言ってもよい。

強い結びつける力と言ってもよい。(P159)

仏へと、限りなく自らを高めてゆく力を言ってもよい。

さすれば、あなたがたはこれより後、

この世の中の在り方を変えよ。

この世の中の姿を変えよ。

この世の中の仕組みを変えよ。

唯一の力によって。

大いなる仏と一体化する力によって。

そうして、この世的なる執着を断った平和な心によって。

世の中を変えるに、

革命をもってするという人もいる。(P160)

暴力をもってするという人もいる。

流血をもってするという人もいる。

しかし、私はそのような考えをとらない。

世の中をかえてゆくには、平和な心が大事である。

もし、暴力によって国家が覆ったところで、

その新しい国家もまた、いずれの日か暴力によって倒されるであろう。

流血によってなされた革命は、

やがておびただしい流血を招き寄せるようになるであろう。

そうであってはならない。

世の中を変えてゆく時に、

あくまでも心の平静を大事にしなければならない。(P161)

心の平安を大切にしなければならない。

調和を基準として世の中を変えてゆかねばならない。

極端なものを去り、調和を中心とし、

すべてのものが栄えるをもってよしとせねばならない。

今の日本という国の政治を見ていて、
いちばん嘆かわしい点がここにある。

諸党派相争い、自らの利害を主張し合う。

これを民主主義と言う人もいるのであろうが、

こうした政治が、決して仏の心にかなうとは、私は思わない。(P162)

ほんとうに仏の心にかなうのならば、

ほんとうは、諸党派相まって、

ほんとうに世の中を、人びとの心を、

明るくし、幸せにしてゆくには、どうしたらよいかということを、

真剣に考え合わなければならない。

真剣に提案し合わなければならない。

欲望の民主主義は真実の政治ではないということを知らねばならない。

欲望に基づいて互いの利権を主張し合うことをもって、

自由と混同してはならない。

自由とは欲望の自由ではない。

自由とは欲望を競わせることではない。

そんなことがほんとうの民主主義であってはならない。(P163)

欲望の民主主義であってはならない。

自らの政治の利便のために、

欲望のために、候補者を選び、

そしてそのためだけに政治をやらせてはならない。

そうであってはならない。

より多くの人々が、
いや、万人が満足できるような社会をつくり出してこそ、

はじめて素晴らしい政治だと言えるのだ。

そのためには、心から争いを去ることが大事だ。

心から争いを去らねば、真の調和は生まれない。(P164)

今、いろいろな政党が相争っている。

仏の目から見て、これがいかに嘆かわしいことであるかわかるか。

また、同一政党のなかにおいても、各派が相争い、

自らが首長になろうとして、競争している。

それはそれで進歩の原理にかなうところもあるのではあろうが、

しかし、「それにしても……」という感が拭えないのはなぜであろうか。

それは、人びとに、

争いことを好む人を上には置きたくない、

という気持ちがあるからなのだ。

下々の者が争うということは、

見ようによっては、

子供たちの他愛もない喧嘩のようにも見えるであろう。(P165)

しかし、自らの上なる人、

人びとの上に立つ人たちが相争う姿を見て、

どうして国民が心穏やかに生きてゆくことができるだろうか。

争いを上に置いて、下が、何ゆえに穏やかになるだろうか。

調和できるであろうか。

調律できるであろうか。

そんなことは、矛盾でしかない。

矛盾以外の何ものでもない。

人の上に立たんとする者は、
秩序と調和というものを大切にしなくてはならない。

そして、常に多くの人に見られ、

多くの人びとに、(P166)

徳ある人として尊敬される人間でなくてはならないと思う。

国会という国の政治を論議する場において、

粗暴な言動は許されない。

人間として恥ずかしい行為は慎まなくてはならない。

そして、いかに自らが当選し、自らの権益を拡張したいからといって、

他を追い落とし、他の人格を批判することがごとき言動は、

厳に慎まなければならない。

そうしたことを、言論の自由と呼んではならない。

私はそう思う。

政治の貧困は、心の貧困に起因する。

政治は、国民から選ばれたる人びとによって行われている。(P167)

国民から選ばれたる人びとが、心不在の政治をするというのであれば、

彼らを選ぶ国民の側にも心が不在していると言わざるをえない。

そんあことであってよいはずはない。

真心の政治をせよ。

誠心誠意、世の中をよくするために行動をする人を選べ。

そういう風潮を出してゆかねばならない。

今の政治は、憂うべきことである。

誰を選ぶか、それがわからないのであるならば、徳高き人をまず選べ。

いちばん徳高き者は誰であるかを互選によって選べ。

数の力でもって決めてはならない。

金銭の多寡によって決めてはならない。(P168)

その人の政治手腕にのみよって決めてはならない。

いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ。

そうして、政治の中には、

決して諸党派の相争いを持ちこむのではく、

どういうふうなことをするならば、

国民が豊かになり、幸せになれるかということを、

常に念頭におかなければならない。


 ああ、なるほどなと、深く
胸に去来する箇所が沢山ありました。

 やはり、日本の政治混迷の中にあっては欲得関係なしに真実を貫いていくのが使命かなと、自覚を新たにさせていただきました。 悪想念蔓延の中にあるときこそ、真実の教え、高度な思想に触れて燻重させておくべきなのだろうと思います。 

 長文にわたり御覧いただきまして、本当にありがとうございました。m(_ _)m

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