吉田松陰の霊言 Ⅱ
☆当過去記事「吉田松陰の霊言」でも、書かせていただきましたが、黒田布教所長さんの「一喝!吉田松陰の霊言 山口県萩市「松陰神社」」 も、非常に伝わってくるんですね。
純粋に、吉田松陰先生の愛、赤心、至誠を少しでもお伝えしたいという、黒田布教所長さんの心が、写真の撮影テクニック(技術)を越えて、松陰先生の魂の息吹を伝え、その精神、息吹に触れさせていただくというかねぇ~。
まぁ、奇跡ですよ。
こんなにも多くのご指導霊の息吹に触れさせていただくチャンスは、
人類史上、過去あり得ていないはずなんですねぇ。
「この主エルカンターレ下生の今だけなので、そのことを少しでも多くの方々に、気づいていただきたい、目覚めていただきたい、我見に囚われたりしている方にも囚われをなくしていただきたい」という、純粋な気持ちが「伝道」なんだと「布教」なんだと思いますね。
また、黒田所長さんの記事をみて、
獄(ひとや)に咲く花という映画にたどりついたのですが、
※上記HPの予告動画参照(これがなかなかいい出来ですね♪)
そこで吉田松陰先生が、
「大切なのは、あなが今何をしているのか、これから何をするのかが大事であって、過去にあるものではありませんよ」と、ヒロインの高須 久にいうくだりに、真理が光っていると思うんですねぇ。
ヒロインの大和撫子が、そうした精神が、稟としたところが美しく蘇えるというのか、
本来の日本女性の「鏡」となるような精神がここにあるのではないかと、それを描いた作品なのかも知れません。
軟弱女性では難しいかも知れませんが、
賢い女神さんには、何らかのいい刺激になるはずです。 ご自身の参考になるところは、汲みとっていただければと思います。
幕末とはまた違った意味での、同じような状況にめぐりあわせています。
女神さまは、純粋に受けとめてくださると幸いです。m(_ _)m
竜安寺の春♪
☆京都 晴明神社(晴明さん)をあとにして、訪れたのが「竜安寺」。 桜を撮ろうということなんですが、K-xの買い増しした電池(エネループ)の不調(充電したのにすぐに電池ぎれになる)もあり、コンビニへ電池を買いに行く必要があったりと、方丈庭園も観ることができず、時間的に消化不良な感じでした。
そのへんもご考慮の上、ご覧いただけるとありがたいです。
カメラは、K-xの望遠ズーム(C-PL装着)と、リコーGRDⅡです。
少々舌足らず、描き足らずですが、とにかく気取らずご覧いただきました。
チャンスがあれば、遅咲き「桜」を撮ってみたいと思います。
今回も、ご覧いただけましてありがとうございました。
心より感謝いたします。m(_ _)m
悪霊封印秘鍵(あくりょう ふういん ひけん)
☆昨日(平成22年4月10日土)は急遽、陰陽師の京都の晴明さんに行って参拝してまいりました。(行ったことがなかったので)
安倍晴明公のご生誕の地といわれる大阪の阿倍野、阿倍野元町の安倍晴明神社は極近の氏神さまのお一人(-柱)でおられますので、住まいに商売に、当社も安定した磁場の中でご守護いただいているという感じは強くありますが、
この度、幸福の科学で「悪霊封印秘鍵」(あくりょうふういんひけん)という祈願が、開示されたというので、詳細を聞いてみると、そのご指導霊が安倍晴明公と同僚である賀茂一族さま方であるということで、
多少、驚きはしたものの、「あぁ、やはりねぇ、でも、非常にありがたい」という感じもあり、
毎日、お祈りに来ていただいている、幸福実現党 阿倍野担当の岡田さんと相談させていただきましたら、
「当然ながら、国政も非常に大事だけれど、我々庶民の暮らしも、積極的に地域の方々を御護りするようなことを考えていきたいね、氏神さまの晴明公が指導霊であることがはっきりしてよかった♪」
と、おっしゃっていただけました。
個人的にも、いろいろと謎が説けてまいりますが、
思惟するその思考材料も厳選する必要もありますが、「思索を練る」ということと、あわててすぐに結果、結論を求めるのではなく、
思想も、発酵させる醸成することが、つくづく大変大事だと思いますね。
この陰陽師グッズもまた楽しいですねぇ~。
この祈願は、
おそらく、このデフレ不況の悪想念を強力に封印し、
何か「どよん」とした感じが、「シャキッ」と頭脳明瞭に冴え、その人本来の仕事、使命遂行が明確に見え、さらに集中し、打ち込めるものと思います。
主エルカンターレ、安倍晴明公、ご指導よろしくお願いいたします。m(_ _)m
「悪霊封印秘鍵」の詳細を、まずは聞いてみたいと思います。(^o^)
桃源郷から、大和三山をパノラマビュー♪
☆この桃源郷(とうげんきょう)は井寺池の北側にあり、この冒頭の写真の前景に桃、中景に箸墓古墳、遠景に二上山を眺めたところです。
とにかく、桃源郷に相応しい地上の天国景色と呼ぶにふさわしいところと思います。(^o^)
今日は、田口会計事務所のY君が、はじめてデジタル1眼レフを購入して、写真を撮り始めたというので、「非言語情報の撮影のコツ、カンを説明しますので、ぜひ、一度撮影現場をご一緒していただいたら、どうかなぁ~」と話していましたところ、
田口先生が「月に1度なら、水曜日休みでもOKですよ」(当社の休みが水曜日なので)と、ご了承いただけましたので実現した企画です。
カメラは、PTENTAX K-x ダブルズームのみで、望遠ズームの望遠領域300mmをY君の望遠ズームの200mmと、ほぼ同じ条件にあわせて使用しました。
撮影日は平成22年4月7日(水)です。天気は小雨のち徐々に晴れ。
とむすけ自身は、この桃源郷には数年ぶりに訪れます。
写真は、51点あるので、どれかひとつくらいは、お気に入りがみつかれば幸いですね。 本当に、この桃源郷は素晴らしいです(^o^)
↓ Y君の撮影状況
いろいろと、撮影シチュエーションの見極めを説明しながら、ある被写体、たとえば桃の木1本とすると、ほとんど360度いろんな角度から、広角や望遠の多様な視点でその被写体が一番美しく見える姿を探す、絵づくりするといった感じ、
そして、太陽光の扱いについても、ザーッと、ではありますが説明いたしました。
お待たせいたしました。
それでは、ご覧いただきましょう。
井寺池と三輪山です。
それでは、ここからが、桃源郷です。
そして、これが大和三山が見える桃源郷のパノラマビューです。さらに遠望の山々は大和葛城山、金剛山です。
この記事、冒頭写真の二上山遠望です。
いかがでしたでしょうかぁ~。
↓おまけ。 帰り道で夕照の扱い事例として撮った写真です。
↓さらに、おまけ。 桜吹雪をどう撮る?ということで、トライした1枚。孟吹雪でないと絵的には難しいですね。
当社のお客様や友人知人もそうなのですが、
特に幸福維新のみなさまへ、極上の和み、癒し感が伝われば幸いです。
黒田さん、癒し感どうでしょう…。 伝たわりますか?
本当は、特化して撮影だけに専念したいんですけれどね。
まぁ、なかなか難しいですね。
今回も、ご覧いただけましてありがとうございました。
心より感謝いたします。m(_ _)m
万代池の「桜」散歩♪
☆今日(平成22年4月4日)は、ほんとうにいい天気で行楽日和でしたね。 とむすけもご近所の万代池公園(ちん電で3つ先の「帝塚山3丁目」駅)を、昼から軽く散歩してみました。
カメラは、PENTAX K-x 望遠ズーム(C-PL装着)と、リコーGRDⅡ +ワイコンです。
いつもの万代池公園とは違い、バーベキューを楽しむ大勢の方々で埋め尽くされていて圧巻! それぞれに思い思いに行楽のひとときを楽しまれていました♪ そんなワイワイガヤガヤの中、その脇で…。
「桜」のみの(人物は入れない)写真撮影に集中できるのか? はなはだ疑問でしたが、少しだけトライしてみましたぁ~。
水面の光りの反射キラキラを撮影♪
そして、最後はとむすけお気に入りの1枚です。
明らかに春の陽気感が漂う、万代池公園でした。(^o^)
それと、当フォトログにコメント下さる方には、誰でも、まじめにご返事を差し上げていたのですが、さらに忙しくなってきているのと、返信してもちゃんとしたメールアドレスでなかっりする、時間の無駄が著しい場合がでてきましたので、
素性を明らかにして、まじめにコンタクトいただける方のみの対応に、変更させていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。 m(_ _)m
いかがでしたでしょうかぁ~。
春の陽気感が、少しばかり伝われば幸いですね。
今回もご覧いただけまして、ありがとうございました。
心より感謝いたします。 m(_ _)m
宇宙人との対話
☆「宇宙人との対話」を、大阪正心館にて拝聴させていただいてきました。
参考資料のレジュメの表紙に、
※それぞれの宇宙人が述べていることは、あくまでも宇宙人の意見であり、主エルカンターレの教えではありません。
「他の惑星には、こういう価値感もあるのだ」、「参考にさせてもらおう」とういうスタンスで受け止めてください。
とあり、そのとおり、
宇宙人の存在が、疑いようのない事実として宇宙人が地球に飛来し影響を与え、宇宙人も主エルカンターレのもとで救世運動に参画していることが、リアルに実感できました。
主エルカンターレの偉大さはもとより、
これからは地球人類だけのちいさな発想ではなく、
どうしても、霊界だけの話に止まらず、UFOや宇宙人といった大宇宙の神秘も含めて、
これからの、新産業(軍事、宇宙を含めた)の発展には欠かせない発想であるとか、科学技術であるとか、
諸子賢哲の高度な思想やその考えの淵源が、どこから来ているのか、どうしても学んでおく必要があると考えるところから来ています。
単純に、宇宙もので面白いからという興味本位なものだけではありませんが、
最近では「フォースカインド」「アバター」「第9地区」といった映画は、いきなりではなく前触れというか、予防注射というか、そういう役割を担っているといえばいいのでしょうか。
知ると知らないのでは、大きな違いや差が出てくるといわざるを得ないですね。
時間の都合で、直接の感想は、別の機会にしたいと思います。
進歩と調和という二つの項目は、地球に生きているものにだけ適用されるのではなく、地球を超えた大宇宙の人類系団、すなわち、スペースブラザーズというか、宇宙の兄弟たちにも適用されているものです。
宇宙のなかでも、惑星によって進歩の度合いは違います。もともとは同じくらいのところからスタートしても、幾十億年を過ごしてきた結果、進歩が後れているところと、かなりのところまで進んだところとが、あります。こうした偏在が宇宙にはあるのです。
そのため、一段高い立場に立っている方は、惑星ごとの進化の度合いの違いを見ながら、「全体をどのように持っていくのか、最高度の発展繁栄と言えるのか。どうすれば、どうすれば無理なく無駄なくやれるのか」ということを、常に考えているわけです。
たとえば、「地球のなかで、ある程度悟った人たちは、次ぎにどのような地域に生まれるのが、ほんとうの意味での魂修行になるのか。地球にあと十回、二十回、百回と生まれ変わることが、はたしてよいのか。それとも、まったく未知なるところで、もう一度、新たに始めるのが、魂的な進化につながるのか」--こうしたことを考えて、いろいろなことを決めています。
このように、進化と調和、進歩と調和という考え方は、決して地球という小さな世界だけに適用されるのではなく、地球を超えた大きな目でそれを考え、行っている方もいるのです。
(『ユートピア創造論』p.58~59)
「愚か者めが!」 そう、その通り~っ♪
☆まぁ、何とも情けないかぎりですねぇ~。 本当に、日本のこと憂いますわ~。
丸川珠代議員は偉いね! 本音で、本気で戦ってますよね。 これで参議院が、不必要なワケも、非常によく理解できましたぁ~。
丸川珠代議員 「愚か者めが!」 子ども手当法案阻止に奮闘
飛鳥川畔の桜並木♪
☆さきほどの「大野寺の桜♪」を撮影した後、近鉄大和八木駅までもどり、そこから飛鳥川畔へ向かいました。 徒歩10分くらいでしょうか。
室生口大野駅(大野寺)へ向かう途中、車窓から川沿いの桜並木が見えたので、ここに行ってみようと思いたちました。
もし、それがなけえれば、ネットで見た別の7分咲きのところに行く予定でしたけど。
単純に桜の名所だけでなく、日本各地にその地域、地域に、必ず地元の方々の心を潤す桜のスポットがあるんですね。(^o^)
そこが、また日本の自然の素晴らしいところなんですね。
とむすけも、こうしたメジャーでない知らないところに来て、撮影できるのはうれしいものがあります。
たとえば大野寺は有名でありますから、大勢の方々が全国から来られますが、ゆっくりと撮影できる条件が与えられる確率は非常に少ないんですね。
それなりに忙しく慌てて撮る必要もありますのでね。
確率的に、じっくり、ゆっくり、被写体に対峙して向き合って、絵づくり等をよく考えて撮れる条件が与えられやすいのは、地元の方々の心を潤す桜のスポットが、いいんです。
これは、撮影し比べてみれば、どなたでも経験則ではっきりと分かります。
平日のマイナーな場所は人出がまばらで、桜をからめたスナップ写真にするにしてもちょうどいい人の具合であったりしますからね。
人が少ないということは、まるで、貸切の贅沢感があります。
では、ゆっくりとご覧いただきましよう。
撮影日は、平成22年3月31日水曜日です。
カメラはPENTAX K-x ダブルズームと50マクロ、77mmリミ、パナソニックLX3です。
つぎのような、主観的に絵つくりをじっくり考えて、フレーミング(構図)します。
背景に飛鳥川をいれて、その春の情感、雰囲気を出してみたいと考えました。
バック(背景)を完全にぼかして、桜の枝の花々を注視、集中してみようと心がけてみました。
飛鳥川を背景に、川の瀬の白いところを写しこみ臨場感を出してみました。
いかがでしたでしょうかぁ。 お楽しみいただけましたでしょうかぁ。
前回の大野寺とは、撮影の自由度が違い、ゆっくり、じっくり、その空間を考えた絵づくりができて、非常に撮影が愉しかったですねぇ~。
季節の「桜」の撮影をテーマにしていますが、
特に幸福維新の志士のみなさまには、この春の桜の和み感、癒し感が、ふんだんに伝わるといいのですが…。
今回もご覧いただけまして、ありがとうございました。
心より、感謝いたします。m(_ _)m
大野寺の桜♪
☆「桜」を撮影するとなると、開花状況が気になりますが、今は「桜情報」などがあり、便利に使えます。
そこで、近畿の奈良をクリックすると3月29日時点で、大野寺、高田川畔、葛城山麓公園が7分咲きになって、氷室神社満開で、
こまめに更新されている様子ですので使えると思います。
桜はその性格上、いっきに咲きますから、「桜」を撮影で追いかけるとなると、
だいたい、7分咲きを選べば大丈夫かなという判断で、満開を選んで行けばその頂点を過ぎてしまう恐れがあります。
この方法で、桜の特殊な撮影以外は、まず大丈夫だと思われます。
ということで、まずは大野寺でのしだれ桜の撮影です。
撮影日は、平成22年3月31日水曜日 晴れ
カメラはPENTAX K-x ダブルズームとパナソニックLX3です。
大野寺の入口です。
やはり、有名なところは平日とはいえ大勢の方々が訪れています。
これでも、まだ、人が少ないところを撮りましたから、人物ぬきの桜風景となると撮影は非常に難しいですね。
有名な 大磨崖仏 (大野寺石仏、国史跡)
まぁ、なかなか自分の作品とよべるものは撮れない(作例どまりで)と思いますが、定番風景写真として、桜全体をフレーミング(構図)でつぎつぎおさめていって、
しかも、いろんな角度で、一番その桜が美しく見えるところを探しながら、
愛でながらといったところでしょうか。
その中から、さらに、
深く入っていったところに、
「客観」に対して「主観」といわれる、撮影者の意志表現がなされてくると思うんですね。
で、その場に十分なじんで来てから、じっくり、ゆっくり、その桜の一番美しいであるとか、美しく思えるそのエッセンスであるとかを考え、被写体と対峙しながら撮影するということだと思うんですね。
その精神性の性質は、作者の思想や悟りに大きく関わるものがあるはずなんですね。
そこの追求から、はじめてその撮影者のオリジナリティというものが、出てくるんですね。
稚拙な事例ですが、
たとえば、こんな感じ…。
今回のこのシチュエーションでは、
この、しだれ桜だけで、作品を撮ることは極めて難しいですので、
大勢の方々がしだれ桜を楽しんでいらっしゃるので、逆にスナップ写真に転じて、風景だけにとらわれず、
その人のよろこびを表したりする方が有効かも知れません。
たとえば、
まぁ、そんなことを考えて
まずは、
撮影を楽しませていただいています。
いかがでしたでしょうかぁ。
つくづく思いますねぇ~。 日本の春は本当にいいですよねぇ~。
今回もご覧いただけまして、ありがとうございました。 m(_ _)m
どうすれば、絵や写真が向上するのか♪
☆クリエイティブなことは「創造の法」がオススメで、この経典がこれからの創造の根源、クリエイティブなことの根源になると前にいいましたが、
限定したお話ですが、
どうすれば、今以上に「絵」や「写真」が向上できるのか?
考えてみますと、
そのバックボーンに、主エルカンターレの高度な「法」を学んでおく、
真理知識を学んでおくと、
その絵や写真にも、芸術美術にも、相当な深みが出てくると思います。
これが一点と、
あと、
一流という方々の作品を観たり、その考え方思想に触れる機会を多くもつということが、あげられると思います。
そういう方々は、その個性の違いはあれど、普遍的な共通点が何かあると思うんですね。
ここからは、
とむすけの個人的なメモの領域に止まるかも知れませんが、少しづつでも学んでいきたいと思います。
多少なりとも、参考になれば幸いです。
ここでも「動画」を上手に活用してみたいと思います。
あの人に会いたい 日本画家 東山魁夷 先生のお考えを、動画で少々学んでみたいと思います。
ふだんですとだれも見たことのない風景をかきたいという希望もあって
見逃してしまうような風景なんですが、
それが命にあふれていまして、
そういう経験をして 戦後はその時のような
気持ちで絵をかこうと思った。
それは自分の心が純粋になっていたからだと思うんです。
欲というものが他力によってぬぐいされていたような気がする。
芭蕉の「静かに見れば物みな自得すといえり」という言葉がある。
あの静かにというのは心を無にする
利害得失を離れてという意味で、
物の生命が見える喜びをいった言葉
何気ない風景、光景のなかに生命の躍動を強く感じていらしゃることを、いっているのではないでしょうか。
こういうところをかこうと思って歩くのではなくて、
そう言う気持ち捨てて歩いていると
相手の方から、声が聞こえてくる。
向こうから発信音が出ているんだろうと
思うんですけれども、
こちらの機械に雑音ばかり入っていると
感度が鈍って聞こえない
それと波長が合っていないといけない。
空や無我というような執着のない、心静かなさわやかな心境でいると、被写体の方と波長があい、被写体の方からの描いてほしい、撮ってほしいというメッセージをキャッチできる。
また、その被写体を撮らせようとする方々の働き、
心の波長があわないと、そうした気づきや恩寵もなく、すぐれた絵や写真はまず描けない。
絵をかくということは
祈ることだという気持ちが多い。
唐招提寺の障壁画にかかわらず
障壁画をかくようになって、 いっそう
その気持ちが強い。
鑑真和尚にささげる障壁画ですので
自分というものは無になっているわけです。
私の絵は色彩の絵が多かったけれど、
精神的な世界を目指していた。
主エルカンターレに、仏神に捧げる、献上するといった絵や写真をめざして、無我の境地で努力すること、その心境が大切。
墨絵というものは色をなくして
一色でかく場合になると
感覚的な要素は薄れて精神的な
要素が深くなることは確かです。
写真でいうと、モノクロ(白黒)写真がそれに非常に近い。精神的な要素を強く出したい場合はモノクロ(白黒)表現が適していることは確か。
それは私の望む世界の一つです。
生命は与えられたものですから
もう少し深い境地へ達したい。
自分の心がもっと澄んでいきたい。
大きなエネルギッシュなことでなく、小さな仕事でもいいから、
心のこもった仕事をできるだけしたいそういう念願です。
普通の風景も心が純粋になれば生命にあふれる。
なるほど、非常に勉強になりました。ありがとうございました。m(_ _)m