スピリチュアルの法剣とは?
☆過去記事「逆風をつくとは?」の続きというか、その詳細をいきますね。
せっかくのいい機会なので、「スピリチュアルの法剣とは?」というテーマで記事にしてみたいと思います。 「お遊び」と「真剣」の違いもありますしね。
とむすけの場合リアリティのある記事を好むので、前々から、「スピリチュアル」とか、「法剣」とか、使っていますのでその解説という感じで…。
商売として、自らの商品を研究、開発し、すぐれたものを世に出し、お客様によろこばれることは非常に大事なことで、とむすけもそれは素晴らしいと応援いたしますが、
集まってきた知人、友人、お客さまにその商品のこと以外に、いろいろ相談を受けることがあると思います。
その相談の時に、その商品や業務以外に、実に思いつきだけのいいかげんなことを言ってアドバイスするとか、まぁ、そういうことはないでしょうね?
たとえば、そのアドバイスの意に叶わないとをした場合や、耳を傾けなかったりしたときに「あの人はカルマがどうで、こんなことしていたら、大変なことになる」とか、
そんな、おどし、すかしの類など、本当にないでしょうね。本当にホントないでしょうね。
「ほら、見ろ! わしのいうとったとおり、ああ、なったやろ!」などと、吹聴することなどないでしょうね。
それは、仏神の心というか、素直な心で、よくよく心の目を凝らして、みてみると、それは仏神の心ではなくて、ただ単にあなたの過ぎたる欲望、願望が悪さをしているんじゃないすかぁ~。
ただ、目立ちたいだけなら、まだ、いいんですけど、
実は、自分の思うとおりにならないから、悪さをする、霊的にある種の障りですね。
それを称して悟りというなら、それは「嘘」、勿論、地獄的で危ないですよ。
こういうのが悪しきカルマというんではないでしょうか。
人に嫌われる理由はそこにある。 「俺のこと分かってくれへん」と思っているのだろうけど、自分の思うとおりにならないときは、すべて叩きまくる悪さをしていたなら、そりゃ、あんたどこに住んでも嫌われるだろう。
そんな簡単な理(ことわり)くらい分かるでしょう。 極めて自己責任だ。
とむすけは、自由を愛する方ですから、できるだけ「寛容」な考えをとるのですが、まわりの人が悲鳴をあげて、あまりにも目にあまる場合には、
これを、とむすけ、十分に知って分かっていたなら、ほっておけんやろ。
おとなしい女神さんたちも、分からないと、そりや、かわいそうやし。
そうなると、協力どころではなく、
法剣で撃つしかないわな!当社の仕事にも害悪、支障をきたす場合は容赦なく法剣で撃つしかないわな!
と、そういう感じで、いつでも撃つ準備万端で、その方法を少し考えます。
電車道に、つったっていて後ろから迫り来る、特急電車かなんかに全く気付かない状態で、突き飛ばしても助けるみたいなところがあるんですよ。
「仏法」にて仏神の心に近い判断を、真剣に考えに考えぬいて、「兵法」で、その方法論を実行ということになります。
この「兵法」では、シチュエーションを十分に読み込んだ上、いちばん有効な方法を実行する感じでしょうか。
方法論実行の具体的なTOOLが「法剣」(霊的)なものであるんですね。
そんなところですかね。