吉田松陰の霊言
☆吉田松陰先生の松下村塾 講義室の動画を黒田さんがアップしてくださったので、「吉田松陰の霊言」を、当ブログでも、ご紹介させていただこうと思います。
幸福実現党の応援団長、坂本龍馬先生と、その考えは違い、至誠を貫くということはどれだけ厳しいことか、落ち込むほどの真剣な内容です。
松陰です。
まずはあなたへの個人指導になるが、覚悟はよいか!
1.幸福の科学・活動推進局長への指導のお言葉
あなたは、発想が営業マンなんだよ。
まだ、商品を人に売り込み実績を上げてなんぼという考えがある。
それが他の人々に伝染するんだよ。
「幸福の科学」は、本気で不惜身命で世界宗教を目指しているんだ。
あなたは、もう一段高次な高邁な精神を持って実践しようとせよ。
あなたは、魂の殻が充分に割れていない。
在家時代の自分の実績があるから心に自惚れあり!
己を捨てて、大いなる使命に目覚めよ!
さすれば、おのずと伝道は進むのだ。
今のあなたは、株式会社の発想なんだよ。
己の精神性の低さを神仏に恥じなさい。
宗教は株式会社ではないのだ。
そんな甘い心では、人の心は動かない。
あなたの中にある飾り気を捨てよ。
背広を着ているが、それは袈裟衣だと思え。
あなたに、どうして師の教えが、このような姿で広がらないかわかるか。
それは一重に弟子達が不惜身命の心が分かっていないからである。
弟子達が天上界の心と一体となっていないからである。
だから、会員一同に伝え切れていないんだよ。
己の弱さを恥じよ。赤心を持って死を覚悟して望みなさい。
このままでは主の光を弱めるばかりである。
お前達幹部が主の光を弱めているのだ。
主の光を弱めているのはお前達弟子である。
そのような甘い弱い弟子はいらない。
あなたは営利性に関心を高めすぎている。例その身が死しても、全世界に主の教えを伝えようとすることが誠の心なのだ。
今から直ちに深く反省せよ。
営業マンのような姑息な数合わせの仕事など、嘘、偽り、誤魔化し、すべて天上界からはお見通しである。
あなたは天狗的な方向性が強すぎる、よって自惚れの心が強い。
奉げる心、犠牲心と人に対する優しさが弱いのだ。
推進局長であるあなたが変われば世界が変わる。
上にあるものは自らを叱る厳しさがいるのだ。
要するにあなたは、悟りが低いんだよ。
上に立つ者は人物ができていなければならないのだ。
列車や飛行機などの乗り物にはそれ相応の器があるであろう。
その器が人々を連れてくる器となるのだ。
あなたの器を大きく広げなさい。そのためには、苦しんでいる人、困っている人を本気で死ぬ気で救う気があるかどうかを自問自答せよ。
日々に病める衆生を本心で救う気があるかを自らに厳しく問え。
それが今後の修行方法である。
器を今の10倍大きくせよ。
あなたが10倍大きくなれば教団も大きくなる。
あなたにはそれだけの責任があるのだ。
2.HS政経塾長への個人指導
はっきり言って、あなたではぜんぜん力不足である。
なぜなら、あなたには政治家が偉く見えているからである。
あなたでは、その任に堪えないのだ。
残念ながら今のあなたに指導されても偉い人にはなれない。
今、政治家がペコペコ頭を下げにくるのは、あなたの力ではないのだ。
あなたの所属している教団の集票力を見抜いているから政治家は打算で頭を下げに来ているのだ。
あなたでは誠にもって力が足りない。あなたに自信があるとは思えない。
あなたは、はっきり言ってまがい者である。
あなたの持っている刀は竹みつである。それでは人は切れない。
真刀とならなければならない。
真刀となるためには、水の試練、火の試練、槌の試練を受けなければならない。
誠に甘い、甘い、甘い、今のままで成功するとは到底思えない。
自己変革を強く望むものである。
火の中、水の中、槌で自分を打て、さすれば真刀が出来るだろう。
本物の刀を持てば、真贋の区別が付くのだ。
更に、あなたは人格的にお人好しである。
自分に厳しくありなさい。
政治を軽く見るなよ。人々の命を扱うのが政治であるんだ。
人々の幸福、不幸、そして生死を左右する力があるのが政治である。
政治は国会の半分の意見で、自分達の反対者達を皆殺しにできる力もあるのだ。
その命を奪う力を持つものが政治家である。
そのため幕末時代の法によって私は刑死になったのだ。
当時、私は海外渡航の罪を問われた。
現代では海外渡航は当たり前で罪ではない。
私は当時の政治の力によって処刑されたのだ。
あなた方は、この世的な力においても諸事万端整えていかなければ、これから殉教者を出すこともあるのだぞ。
あなたは甘いのだ、他の政治家達にいいように扱われているのだ。
あなたの本音など他の政治家達に見透かされているのだ。
このままでは任に堪えないと知れ。
それでもやるなら共に火の中、水の中に浸かりながら頑張りなさい。
最初は苦しみが多いだろう。
明治維新の志士たちも150年後に認められる始末である。
現世利益を求めるな。
光の天使が活動する時代は、いつも光の天使は殺されている。
私も本来の仕事ができず、獄中にいた時間が長かったのだ。
あなた方が現在の法律に反して刑務所に入っても、
10年間刑務所に入っても、戦い続ける人が増えなければならないのだ。
あなた方にそれだけの覚悟があるか!
この世の常識を乗り越えていくのが革命である。
あなたにこの世的な常識を超えることができるか。
あなたは弱すぎるのだ。
心に焼きを入れなければ革命を勝ち取ることなどできようか。
今は、あなた方の主が、この世的に立ち回りが上手ということで、安全性を確保され守られている。
その反面、革命的燃焼をしきっていない。
お前達幹部は甘やかされているのだ。
キリスト教も教祖は死刑になった、しかし、その後の弟子の巻き返しは凄かった。
これから検察がもし、矛先を宗教に向けた時、国家的弾圧が加えられた時、それでも主を守れるか。
いつの時代も、先見性のある人は苦しむのだ。
半歩先、一歩先程度の未来を見える人は秀才といわれる。
しかし、100年先が見える人は狂人とよばれる。
3.幸福の科学学園 理事長への指導
世間から問われることは、あなたがたの学園は本当に必要か否かということである。
学園が出来た結果、不幸になったと言わせない努力が必要である。
那須の学園に行ってマイナスだったと言わせない。決して言わせるな。
学園に行って、地元の学校に行った方が良かったと言わせてはならない。
また、カルト宗教にハマッた子供になったと言わせてはならない。
絶対に日本で他にない素晴らしい学校になりなさい。
キリスト教系のいかなる名門校より遥かに良かったと言わせなさい。
最初の1年、3年が勝負である。必要なことは気迫である。
教育は宗教と同じで人を別人に変える力がある。
さらに学園の隠された使命がある。
国家的迫害や弾圧が教団に及んで潰されても、学園は残り延々と法灯を伝え続ける使命を持っている。
学園の使命は、弾圧された時、不退転の信仰者を作る使命がある。
第二の教団が学園だと思いなさい。
そのため那須の地に総本山の奥の院に学園を作ったのだ。これは現代の高野山だと思いなさい。
空海は、山中に宗教都市を作った。この那須の地は宇宙と繋がる地である。
その意味で最後の砦だと思いなさい。キリスト教も政治に巻き込まれていった。教会が要塞のように作られているのは何度も攻め込まれているからである。
今、1000年の法灯を残すためにやっている。真なる霊的エリートを作りなさい。
問・秀才と行動力の両立を磨くためにいかに努力すればよいのですか?
この世の勢力がいろいろある。それぞれプライドを持って権勢を持っている。当会も、教育界と宗教界の衝突があった。いじめ問題でお互い信用の戦いがあった。学校という聖域と宗教の聖域の戦いがあり、その結果、幸福の科学学園ができた。
現にある教育が営々と続くと思うな。早稲田も草創期はただの塾だ。それが今は一流と呼ばれている。東大の中枢部に、唯物論学者が巣食っている。左翼思想が入っている。岩盤のように入っているが根本的に過ちがある。そのため保守的な人は私立に子息を入れる。もしくは教養学部に入れる。
学歴体系のトップに左翼思想があり、日教組の元になり、法律関係、政治のバックボーンになっている。そのためこの国は左傾化し唯物論国家に成り下がってしまった。
幸福の科学は、東大を超える権威ある大学を作れ。
総合大学を作って世界一になれ。
信者でなくても入りたくなる大学を作りなさい。
これは価値観の革命である。
4.木村党首への指導
全体的に見る限り、甘い。
優しすぎる。
それはあなた方が長らく楽をしてきたからである。
幸福の科学には、難行道がない。
サラリーマンの延長で生きていくことが許されているからだ。
試練を通して人は変わっていく。
この教団の弱点は指示を貰った者は出来るが、自らの意志で行動できる人がいない。個人で動ける人がいない。
このままでは烏合の衆となる。
真剣を差して、命がけで戦え。
政治の世界の原理は、明確に敵がでてくる。
敵は全力で潰しにかかる。
あなた方に当選者が出れば攻撃してくるだろう。
真剣勝負において敗れたら絶命である。
道場の戦いでは何度もやり直せる。
しかし実践では負ければ終わりである。
赤穂浪士のように墓に入る覚悟で望め、今度の選挙に負けたら全世界の笑いものである。
その時最大の危機が訪れる。
悪魔の武器に使われる。幸福の科学が全滅する可能性もある。
あなたがたの存在は幸福の科学の存亡もかかってる。
あなた方自身が核爆弾だ。
幸福の科学幹部 幸福実現党幹部へ個人指導の誠に厳しい霊言でありますが、党員のとむすけも真剣を差して命がけで臨む気概、気迫が必要だと思いました。
とむすけの撮る癒しの写真も、実際に撮影して来てみて分かったのですが、「自分の写真の腕前を観て貰いたい、褒めて貰いたい」とか、奪う精神ではなくて、
「皆様に、和みや癒しをお届けしたい!」という気持ちや、「仏神に認めていただける本当の芸術的な高みを目指したい!」(今はこれを目指していないと生き残れない、風雪に耐えないですね)という強い思い、気迫そのものが仕事をする(ご指導をいただく)ということに気がついて来たんです。
このフォトログの情報発信だってそうです。
それらを発信する手段で、武器でもあり、真剣でもありますから、時には降魔の剣ともなるかも知れませんし。
いずれにせよ、真剣の手入れは毎日怠らないようにいたします。
※やはり、書籍で発刊されるようです。