功徳の違いが分かりますかぁ?
☆今日は、多少時間に余裕があるので、心落ちついて記事を書けます。 そういうときは、考えを練ることや思想的なことを書きやすいので、
今回は過去記事「なぜ、景気回復がおくれるのか?2」 の下の方で、
書いた内容の詳細をご説明したいという趣旨で書きますね。
ただ、その認識は、あくまで、とむすけが取材をして分かる範疇(理解できる)で、凡人の域をでませんので、その詳細は幸福の科学の職員さんや講師のプロに、お聞きいただければありがたいと思います。
スピリチュアルといっても、それはピンからキリまであり、「本物」はこちらですよ。
とむすけの取材で知る限り、「幸福の科学」「幸福実現党」で活躍する方々は、
世間でいう「スピリチアル」を「剣」(法剣、降魔の剣とか呼ばれるもの)でレベル0~3で、たとえるなら、
0 子供用プラスティック玩具(お遊び)
1 剣道の竹刀(練習、競技用)
2 木刀(撃ちあって、一発喰らえばケガだけではすまない)、
3 真剣(今生の命をかけて真剣勝負)
と、あって、非常にリアリティのある「3」ということなんですね。
これが「真実」でございます。半端ではございません。
と、書きましたが、
とむすけの取材の場合、基本的には相対的に他と比較して、その内容の違いはよく吟味させていただくのですが、
正直なところ、そのスケールや内容は圧倒的に違う、そのリアリティも圧倒的に違う、ということは、強く感じさせていただいています。
「その違いが分かるような、説明をさせていただく、いい機会はないかなぁ~」と、常々思っていましたところ、
この1月24日に北大阪支部精舎で、「仏説・正心法語」の功徳という御法話があり、その内容を、お教えいただけまして、
これは分かり易いご説明がなされてあり、非常にいい機会ですので、
どれほどの、違いがあるのか精読、熟読されることを、心よりお祈りいたします。
(注:御法話内容の文章の細かいところの間違い等は、ご容赦いただけますようによろしくお願いします。)
では、まず、その内容を読んでいただければありがたいです。
私の約束としては、入会版「正心法語」を使って生活している人で、名前だけの人はどうかわからないが、
幸福の科学をちゃんと理解して、賛同する気持ちがあって、ある程度信仰心があって会員になっている人なら、亡くなった後、天上界に絶対おかえしするという気持ちを持っている。
会員になっていれば、まず地獄に堕ちることはないと、はっきり言っておきたい。
他の宗教なら、地獄に行く人もいる。
選んだ宗教によってはいろいろある。
ただ、会員として自覚していて、(信仰)生活している人は、原則は天国に行けるはず。それについてある程度責任を負っている。
幸福の科学支援霊団としても、そのつもりで守護指導するつもりでいる。
あと、三帰信者がいる。三帰誓願は、「仏・法・僧への三宝に帰依する」という誓いであり、それを立てた人を三帰信者という。
もともとそんなに難しいものではないが、20年以上活動している人もいるので、そういう人は、昨日今日入った方と、全く一緒にはならない。
教学もしっかりしていて、反省、瞑想、祈りも実践してきた人は、信者としても相当進歩してきているのは事実で、気持ちの上でだが、三帰信者は一応菩薩を目指している信者という位置づけになる。
一定の悟りを得て、「世のため人のために活動するのが天命だ」と自覚している人を「三帰信者」と呼ぶ。
「とりあえず、天国に入れたらいい」というのを入口として、その後、勉強したり、いろんな機会で発心して、もう一段、弟子としての本道に入り、心のさびを落として、天上界の守護霊、指導霊の光を受けられる状態(阿羅漢)を目指す。
教学して支部や精舎で反省や瞑想、祈りをやっていると、心がだんだん透き通ってくる。
仏教の基本的修行はこれ。
心の曇りをとる。
心は何十年かこの世でいると、だんだん汚れてくるが、それが分からないで当たり前だと思ってしまう。
心理学でいう潜在意識の部分を、魂の兄弟とか守護霊と言っているが、その部分が水面下で90%近くある。その部分を普段知らずに生活している。心の透明度が落ちてくると、守護霊(自分の魂の一部)の指導が受け取れなくなる。
天上界から光や助言を降ろしたくても、薄汚れていると、それが通らなくなる。
しかし精舎で宿泊研修や祈願を繰り返すうちに、心が透明になってきて、直接光が入ったり、守護霊のアドバイスが受け取れるようになってくる。
それを阿羅漢という。
さらには守護霊だけで足りない場合、その人の職業にあった専門的な知識をもつ指導霊が指導してくれるようになる。 阿羅漢を目指して努力しているとそうなっていく。
これは個人としての自己確立を求める修行。
ただ、これだけでは、人類救済、迷っている多くの衆生を救うことにはならない。
無明の中で手探りで生きている人を目覚めさせる修行があるはずで、これを菩薩行という。
(世の中には)「人間の本質が霊であり、あの世があると知って生きている人」と、「死んだら何もかもなくなると考えている人間」と、2種類の人間がいるが、真理は一つ。
あの世はある。
私自身が過去、数多くの霊人達の霊言を降ろして実証してきた。
今年は坂本龍馬や松下幸之助の霊言も新しく録り直して、彼らが現代社会に対して何を言うかを問うてみて、それを公開した。
そのように、日常的に私は霊的世界と同通している。
100%あの世はあるとしかいいようがない。
とすると、
過去の宗教でいう菩薩、天使という存在は、あの世にもこの世にも存在する。
それはこの世的な地位とは違う。
全然関係ない立場で生活していて、宗教的に目覚めて活動する人も多い。
先程、「会員でちゃんとした信仰心を持って入れば必ず天上界に行かせる」と言ったが、私はまだ地獄に行った会員を知らない。
先般も、拠点長で大黒天だった開業医の方が亡くなられた。そこの奥さんは50代で癌でなくなっていたので、迷っているのではと心配していたが、全く正反対で、羽がはえて(あの世で)活動している。なぜ寿命が50位だったのかは、その人個人の計画なのでわからないが、少なくとも天使になっているのは事実。苦しんでなんかいない。
あの世で天使としての仕事がある人もいる。
寿命の長い短いだけでは、幸・不幸はわからない。
その人は熱心な活動家だった。
検診を受けていなかったので癌ということが分からなくて、元気に働いていて、ある日コロンと亡くなった。全く苦しむことなく、ピンピンコロリそのもので逝ってしまった。
別の使命があって(天に)呼ばれたのだろう。
当会は高齢者も抱えていて、順番に(天上界)にいくが、そうした方々の齢の信者の受け入れ態勢が、あの世でも必要なので、その準備のために呼ばれたのだろう。
人生計画は人それぞれだが、(会員は)事故や病気で死んでも、その後は順調である。
また、生きていた時に、私に直接影響を与える立場にいた人が、魔に狙われることもある。
魔は実際にいる。
それ以前の段階として悪霊や不成仏霊という、単に迷っている霊もいる。
しかし、それがわからない唯物論者はいる。
たとえば諸法無我は肉体に執着するなかれという教えなのに、釈迦は唯物論だととらえる人もいる。お寺の坊さんも一杯いる。
そういう人のお葬式を受けても、あの世に帰れるはずがない。そこで地上の家族にとり憑いたりしている。
その中で特に、手下を使って意図的に悪さをしている人がいる。
それを悪魔と言っている。こういう人は影響力のある人として地上には生まれる。
もともとというよりは、憑依されてそうなる。
今でいえば、某政党の某幹事長は十分に悪魔になる素質をもっているし、昔でいえばヒトラーなど。
この世で社会的地位や権力を持つもので、腹黒いことを考えていた人は、悪魔になりやすく、地獄でも多くの手下を使って念力を使って悪いことを画策する。
そういう人(悪魔)は、宗教では、支部長や教団の幹部、教祖に攻撃をしかける。
仏典でも、釈迦が出家修行中に悪魔につきまとわれていたが、とうとう迷わすことはできなかったと載っている。
ただ釈迦成道後も、悪魔は一生つきまとっていたと載っている。
イエスも悪魔に攻撃された。
そのように、法を説く者、それを助ける者を邪魔する悪魔がいる。
ただ彼らも元は人間。
考え違いをし、愛や慈悲の行為をはなから信じなかった人たちで、自分の欲得だけ、自分さえよければいいという生き方をした人、他の人なんてどうでもいいという人。
しかしそういうのとは逆に、他の人のために生きようとしている人がいて、そういう人が菩薩になっていくタイプ。
自分さえ偉くなったらいいという考えの人が悪い事をすれば、悪霊から悪魔に堕ちていく。
こういうのが実際にいるということを、数多く実体験してきた。
彼らはこの世に地獄の領域を増やそうとしている。
自分が不幸な時に、他人が不幸になると嬉しくなることがあるかもしれないが、そういう気持ちで(地獄霊)は仲間を増やそうとしている。
これをやめさせなくてはいけない。
そういう意味で正しい真理を学ぶ人を増やしていくために伝道をやっている。
これが伝道行為。
昔の教えは、仏教でさえ、葬式仏教、観光仏教とバカにされ、救済力がなくなっている。
現代語で、新しい教えで、人々に生きる道を教えることが大事であり、それを手伝ってくれる人が数多く出る人が望ましい。
(以上です。 ※赤字強調等は、とむすけの主観によって表しました。その点は、ご了承お願いします。)
とむすけの認識では、あの世とこの世を「転生輪廻」しているという、基本的な宗教真理は理解しているつもりですが、魂修行の場といわれるこの世の地上3次元で、どう生きるかは各自に任されている自己責任の事実があり、
ここまで、この世の幸福だけでなしに、あの世の行き先までも責任を持った、教えや、宗教は他にはないんですよ。
仏陀直説の仏言(法)は、今後、2500年~3000年は人類を導く指針、教科書となるのですから、慈悲以外のなにものでもありません。
「幸福実現党」のリーダーさんや「幸福科学」の職員さんのプロの宗教家は、こういうことを知悉されていて、純粋に人々の魂の救済のために、半端でなく命がけで立ち上がってくれています。
最低でも、善悪二元論的に、できるだけ地獄的なものは避け、天国的なものを選びとっていく必要もありますし、
映画仏陀再誕でもありましたように、ニセ仏陀の荒井東作のような恐ろしい邪教も多いので、障害物競走のごとく、悪戦苦闘、遠回りせずに、
魔にやられることなどありませんようにと、心から願う次第です。